「変態」というほめことば。
今日、久しぶりに「うわあ!変態だ!」と感じる人に出会った。
空想地図を書いている今和泉隆行さんである。
このお方は、日本の街のコンテキストから、
ありもしない、あくまで空想の地図をひたすら書いている人である。
空想のようで空想ではない。
この方は、もともと路線図が好きで、
小学校のころ自分で書き始めたのをきっかけとして、
地図を書くことが発展して行き、
その結果「空想地図」が出来上がった方である。
詳しくはサイトへ。
その「空想」という言葉であるが、デジタル大辞林を引くとこのように書いている。
くう‐そう〔‐サウ〕【空想】[名](スル)現実にはあり得ないような事柄を想像すること。「 空想 にふける」「空想 家」
あくまで、「現実にはあり得ないような」ことを色々あれこれ想像していくのが空想であるということだが、
今和泉さんの書く地図は、「空想」と呼ぶにはあまりに現実にある事象が染み込んでいる。
私もあまり詳しくはないのだが、日本は今までさまざまな都市計画が、街に行われてきた。
その全てが、ただ置かれただけということは絶対にない。
あくまでそこまでの背景やストーリーがあって、初めて置かれるものである。
そのような日本の背景やストーリーの様々な現実が、この「空想地図」には入れ込まれているのである。
そのため、一見パッと見るとよく見る地図と同じ様子であるため、さらっと見逃してしまうような見た目をしている。
ただ、例えば一つのものに、「なぜここに?」という疑問をおくと、
それが様々な事象やストーリー、今和泉さんの言葉を借りると"他者の合理性"が働き、
「だからここに存在する」という理由になっている。
あまりに現実をトレースしているので、
「ああ、確かにこういう街や暮らしがあるよね」
と感じられ、時間を忘れて見いってしまう。
理想の都市ではない。
そしてこの方がすごいのは、あくまで理想の都市を描こうとしているわけではないということである。
人間、妄想していると、
「住宅地の近くにコンビニ欲しいな…」
「そうだ、テーマパークを作ろう」
という風に自分の欲しいものをどんどん描いて楽しくなってきてしまう。
ただ、この地図は、
「本当はさらに良い暮らしがいいんだけども、色々な事情を重ねてここに暮らしている人」の生きる姿がみえてくる、
何か「現実の物足りなさ」を感じさせるような地図なのである。
私はこの地図から「哀愁」を感じた。
そして「変態」。
今和泉さんは、街の地図を書いているだけではなかった。
現実に、ああ、ありそうだよね、というものを作っていると、自然と商業施設の名前を作っていくことになる。
それが発展して、ロゴを作ったらしい。
中村市のチェーン店事情 | 空想都市へ行こう! / 地理人の、空想地図制作。
そしてさらに、
最近怪しいもの作りのラッシュが続いており大変恐縮しております。声を大にして言うべきでもないですが、一応ご報告ということで…「中村市内の空想レシート、集めました」 pic.twitter.com/qBNaFY0lb6
— 地理人 (@chi_ri_jin) 2017年10月12日
空想都市の落とし物のカード類が登場。自分で(作って)広げておいて、結構ヤバい。(展示します) pic.twitter.com/Xu9DId10SQ
— 地理人 (@chi_ri_jin) 2017年10月9日
住む人の落し物を作り始めているらしい。
地図を作っている人、から、発展して行った方向が斜め上すぎる。
考えるベクトルがあまりにぶっとんでいるところが、本当に最高だと思った。
このような、ベクトルが吹っ飛んでいった人を私は「変態だ!」と思う。
ただ、もちろんバカにしているなんていうためにこの言葉を選んでいる訳ではない。
私は「変態だ!」と感じた人のことを、心底から羨ましいと思っている。
「変態」になれるのは、「のめり込んでものを突き詰めた人」だけであるからである。
のめり込むということは、簡単にはできない。
まず、のめり込む対象を、大半の人は見つけることができないからである。
時間を忘れて取り組めるものを見つけても、なかなか飽きてしまうことの方が多い。
今和泉さんは、この人の事象を現実的に想像し、地図として表すことにのめり込んでいった「変態」だと、私は思う。
本当に今日は、貴重な方に出会えた瞬間であった。