えいごをツールとしてつかえる人に。


大学生活で一番悩まされているのが英語である。

昔から、英語の授業はあったはずなのだが、文法文法、そして例外の文法、そして単語というのが理解できなさすぎて、だいっきらいになってしまっていたのだが、かなり早くにそれを後悔している。

 

 

なぜ誰もしっかりと教えてくれなかったのか(それとも誰か言っていたのか)、今でも疑問なのだが、

「英語は勉強・学問じゃない。これは他のものを学ぶツールなのである」

ということである。

 

 

大学に入り、様々な文献や調べたいことの記事が英語で書かれていること。

そして、授業が英語で行われるものもあるということ。

大学にいる外国人と意思の疎通を測るのはもちろん英語だということ。

 

これらのことに初めて直面して、英語はあくまでツールであり、知りたいこと・学問は英語の向こう側にあるんだということを知った。

 

これは本当に衝撃であった。

 

大学にいると、もう今すぐには近づけないほどの厚い厚い壁がそこにはそびえたっており、その向こう側で学ぶ人とは学べる量・掴める知識が倍以上違うということである。

 

 

 

とりあえず、この数年間その悔しさを見ないようにしてきたが、もう逃れられない時期がきたと最近特に感じているのが、研究室の公用語が英語であるということである。

 

発表は英語だし、質疑応答も英語。もちろんその場でひとり日本語を話すと恥ずかしい思いをする。

 

まあそれがしばらく続き、英語の喋れる後輩も入って来て自分の未熟さを感じる毎日なので、ここで英語を勉強する宣言をしたいと思う。

 

そして、一つ、やりたいこととして、

「全てお金をかけず または 今まで買った教材から学ぶこと」

を信念にやろうと思う。

 

それはなぜか。

先刻、そういえば英語の参考書か何かを買った気がすると自宅の本棚をのぞいたら、ある本棚の一角、ほぼ全てが英語の参考書であった。

自分でも覚えていなかったほど触っていなかったので、かなり自分でもびっくりしてしまった。

 

そしてそれらの参考書の最初の数ページは何かを書いた形跡があるのを見て、と過去の三日坊主になっていた自分に再び会った。

 

 

なんとも情けない感じである。

なので、過去に費やした投資を今ここで、もとをとろうという次第である。

 

 

 

続くかはわからないが、今までと違うのは動機が《雪辱》からきていること。

とりあえず無理ない程度に計画と目標を立てていこうと思う。


2017.10.19